世界の中心は桐谷さくら

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「悩みどころ逃げどころ」を読んで

社会派ブロガーちきりんさん、プロゲーマー梅原大吾さん対談本である「悩みどころ逃げどころ」を読みました。

 

悩みどころと逃げどころ (小学館新書 ち 3-1)
 

 

ちきりんさんのブログで梅原さんのことを多く取り上げていた時期があり、興味があったため読んでみようと思いました。

また、本書の出版イベントの一環で対談イベントが実施され、その様子がyoutube上に残っているのですが、その様子がなかなかエキサイティングで面白かったので、梅原さんの著書「勝ち続ける意思力」より先にこちらの対談本を読むに至りました。

youtu.be

 

本対談は学校教育・学歴社会についてそれぞれの立場で思うことを話し合っています。

梅原さんは学校にいってもほとんど寝て過ごしており良き生徒ではなかったが生きていくために学歴は必要という考えに立っており、ちきりんさんは学歴・経歴エリートだが学校教育・学歴は不要という考えです。

 

梅原さんは学校ではほとんど寝て過ごしていたにもかかわらず、圧倒的な思考力があります。ちきりんさんがなぜ梅原さんはそのような思考力を養うことができたのかを尋ねると、梅原さんは「ゲームで強くなるためにやってきたことが訓練になった」とのこと。

考えることって面倒なことで、すべての人に考える能力が備わっているわけではないと日頃から思っています。私は昔からいろんなこと「なぜ?なんで?」と思うのですが、そう思う人と全く疑問に持たない人がいる、ということにあるとき気がつきました。そして、全く疑問に持たない人にとっては、なぜなぜ?いう人って相当鬱陶しいというか、そんなふうに思われていると感じることごあります。

なので、考える力って興味があることとか好きなことからでないと養うのが難しい、と梅原さんの言葉から再認識しました。

 

(もっと学校に競争を持ち込むべきという話があり)

梅原さん:完璧な人は誰もいないんだから、子どものうちから人それぞれに得意なこと、苦手なことがあるという現実に向きあうべきです。

これはすごく重要なことだと思いました。

例えばテストの点数で誰かに負けたとして、その子は勉強は苦手と認識すると思います。悔しい気持ちになるかもしれないし、勉強が嫌いになるかもしれません。

学校は勉強だけでなく、運動したり、絵を描いてみたり、文化祭やってみたり、いろいろ経験できます。その中で自分の得意なことに巡り合うことが重要だと思います。

自分は勉強は苦手だけど、文化祭の実行委員では人を調整するのが得意なんだ!的な。

そういう意味では競争させない、っていうのは気づきの機会を奪ってしまうことになると思いました。

 

〜学ぶ意義を教えて選ばせる〜より

梅原さん:確かに10代の時間ってめちゃくちゃ貴重ですからね。個人的にはその頃って、人生においてもっとも吸収力の高い時期だと思ってるんで。

 

これは「なぜ学ぶ必要があるのか」を学校でもっと教えて欲しかった!そして、早いうちから選択制授業や飛び級制をもっと採用すべき!という流れからでた言葉です。

この著書の中では、梅原さんが世界的なプロゲーマーとして将来外国で活躍する際に「英語」が必要だって言われていたら、もっとちゃんと勉強したかもとおっしゃっていました。

これって多くの人が大人になってから感じることでは?と思いました。私の場合は、ガッツリ理系で歴史系の科目はさっぱりわかりません。日常生活の中で戦国武将の有名な話とか、世界政治のニュースで歴史的に仲の悪い国の話が出てきたときとか、もっとちゃんと勉強しておけばよかったなーと感じます。私なら日本史・世界史を学ぶ意義を、文系なら理系科目を学ぶ意義を聞いていたら、もっと楽しく勉強できてたかもしれないですね。

自分の将来どうしたいか、それを実現するために必要なことを考えることはすごく重要なことだと感じました。

また、藤井聡太さんが高校を3年生の1月に自主退学されたニュースもありましたが、10代の頃から優れた能力を発揮していた人たちにとって、学校でみんなと同じように学ぶことより、自分の活動に専念した方が時間効率が良いです。

そういう意味では多くの科目がほぼ同じペースで進んでいく今の授業って、その科目が得意な人にとっても苦手な人にとっても時間効率が悪いです。統一した教育を受けさせるという意味では優れているが、子供の能力を伸ばす意味ではかなり欠陥のあるシステムだと思います。